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History of Flamenco  フラメンコの歴史
Flamenco Dancer

アンダルシアのフラメンコのルーツをはっきりと描き出すことは不可能に近い。南スペインの歴史の様に、多くの民族、文化の影響を見いだすことが出きる。モロッコ、エジプト、インド、パキスタン、ギリシア、その他のスペイン周辺の国々、極東。ジプシー=遊牧民族の中で育った芸術ならではの特徴とも言えるだろう。

そんなフラメンコの歴史を紐解く上で、ジプシーの民族としての歴史を振り返って見よう。

もともとインド北部(現在のパキスタン)の地域を出自とする遊牧民族であるが、戦争、征服者に追われる様にエジプト、そしてチェコスロバキアへと流浪の旅を強いられた。大量の流民を快く迎え入れる土地は少なく、民族は途中で3つのグループに分化しヨーロッパへ散った。その一派が南スペインに辿り付いたのは15世紀だと言われる。書物にはじめてその存在が記述されたのが1447年ということだ。南スペインに到着した彼らが目にしたのはイスラム、ユダヤ人、カトリック文化の融合した高度に発達した文化だった。

ジプシー民族の文化として音楽への造詣は非常に強いものがあった。民族の祝祭、または日々の生活においても音楽は常に身近にあった。彼らにとって音楽は簡単に創造できた。自らの声、そして手拍子、タップ。スペインのリッチな文化の中で彼らの音楽もまた豊かに成長した。

この時代のスペインはレコンキスタ完了に向かい、ムスリム、クリスチャンが戦う激動の時代であった。コロンブスが新大陸を発見し、ついにグラナダ陥落が達成されたのが1492年、新征服者としてカトリック両王は国内の非カトリック民族に対し厳しい態度で臨んだ。ジプシーに対してもそれは同じ。遊牧民であるジプシーに定住、定職を義務付け、民族の言語であるCALOの使用を禁じた。この時代、ムスリム、ユダヤ教徒、そして異教徒であるジプシーの多くが鉱山での仕事に従事した。多くの労働者が命を落とした一方で、こうした規制のある町から離れ山や洞窟で生活するものも出た。当時こうしたジプシーの活動、居住の中心となっていたのはAlcala, Utrena, Jerez, Cadiz, SevillaのTriana地区だったと言われる。

音楽的センスに秀でていた彼らは時として上流階級のパーティーに呼ばれ、その音楽を披露した。他の民族には理解できない外国語の節のなかで歌われたのは、民族に降りかかった不幸、世間からの不平等な待遇への不満だった。

時代とともに社会の規制は和らぎ、ジプシーもまた土地の生活に適応してきた。それとともに多くの人々が彼らの音楽に興味を示す様になってきた。クラッシックギターとフラメンコが出合い、地元の人々は彼らの音楽をスペイン語に翻訳し始めた。

19世紀には現在見られるフラメンコのスタイルが完成されていた。と、言ってもフラメンコの本質、つまりライブのパフォーマンスの中で日々成長するものであることは、フラメンコが発生した時から現在まで変わりはない。


*Flamencoという言葉の語源はアラビア語のfelag(田舎者)とmengu(放浪者)から発生しているそうだ。18世紀にはこのフラメンコと言う言葉はアンダルシアジプシーと同義に使用されていた。



  最終更新  11/08/26 [12:46]
 
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